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Home > コラム > ゴルフのある暮らし > 第1話 小樽・冬「運河、文化遺産、海辺のゴルフ場。開拓の歴史が刻まれた街」

日本、この刻(とき)、ここへ。〜名門ゴルフコースを生んだ、街を訪ねて〜 日本、この刻(とき)、ここへ。〜名門ゴルフコースを生んだ、街を訪ねて〜

第1話
小樽・冬
運河、文化遺産、海辺のゴルフ場。
開拓の歴史が刻まれた街

北海道・小樽
MEMO
マップ

1日目の旅スケジュール

  • 小樽運河
  • 日本銀行旧小樽支店
  • 小樽港・北防波堤
  • 天狗山
旅の始まりはここから
小樽運河と北のウォール街
小樽運河と北のウォール街

観光客がまばらとなる冬の夕刻。
倉庫街としての往時の顔が垣間見える

北海道屈指の観光の街として知られる小樽だが、その原点は貿易。北海道・樺太から本州へ、ニシン、昆布、後には石炭など、多くの物資が小樽を経由して運ばれていった。

1903年(明治36年)の小樽港の写真(小樽市総合博物館所蔵)。
帆柱を連ねるのは、樺太や本州との貿易を担った北前船。
堤防の手前には蒸気船の姿も見える

今も残る歴史的建造物の多くも、この貿易に係わる企業が残したものだ。銀行、商社などの支店が続々と小樽の街に築かれていく。
明治9年(1876)、旧第四十四銀行が小樽支店を構えて以降、大正・昭和初期に多くの銀行が造られ、小樽は「北のウォール街」と呼ばれる繁栄のときを迎える。
第1話は、旧きよき時代の始まりを、運河から「北のウォール街」の歴史的建造物へとたどる旅だ。

小樽の街は旧さと新しさが
自然に調和している。
小樽運河と北のウォール街

ハンバーグレストランに生まれ変わった、小樽運河沿いの倉庫。

「北のウォール街」を代表する建物のひとつが、ここ、日本銀行旧小樽支店だ。東京駅で知られる建築家・辰野金吾や、その弟子・長野宇平治らの設計で、竣工は1912年。

現在は日本銀行の歴史や業務、小樽の発展について紹介する金融資料館として建物内の主な部分が公開されている。

他にも2002年まで銀行として使用されてきた旧三井銀行小樽支店、かつては身欠きニシンなどの加工品の貯蔵庫であり現在はホールやカフェなどとして使われる旧澁澤倉庫など建物の中まで見学可能な建造物も多い。

旧三井銀行小樽支店。
現在は芸術村として公開されている

2024年に発行される予定の新一万円札の顔、渋沢栄一が創業した企業が所有していた旧澁澤倉庫は、現在、ライブシアター&カフェ「ゴールドストーン」などに生まれ変わっている。

歴史的建造物の全貌を
眺める。
小樽運河と北のウォール街

天狗山の夜景。
白く光るところは、ナイター営業中のスキー場

歴史的建造物は、小樽港でも見ることができる。
その眺望が「北海道三大夜景」のひとつとして観光客に人気の天狗山だが、この天狗山に明るいうちに出かけて港を眺めれば、小樽の発展を不動のものにした歴史的建造物の全貌が見られるのだ。
それは「日本の土木工学史上の驚異」と、世界からも高い評価を受ける「小樽港・北防波堤」だ。

小樽運河と北のウォール街

天狗山ロープウェイと北防波堤(矢印)
写真提供:小樽観光写真ライブラリー

広井勇博士が設計し、明治41年(1908)に完成した全長1,289メートルの防波堤は、日本初の本格的コンクリート製防波堤として、今も小樽港を日本海の荒波から守り続けている。
もし時間が許すのであれば、日が沈む少し前に天狗山ロープウェイに乗り、小樽の発展の礎となった小樽港の歴史の一端に、思いを馳せてみてはいかがだろう。

小樽の街に隠された
たくさんの歴史的建造物

貿易港から観光都市へ。新たな道を歩みだした小樽の街

ところで、小樽の街にかくもたくさんの歴史的建造物が残されているわけをご存知だろうか。それは、小樽の繁栄期があまりにも短く、建造物を立て直すだけの需要が生まれなかったからなのだという。
第二次世界大戦の敗戦で日本領としての樺太を失い、1950年代にはニシンが絶望的な不漁となる。
急速に景気が衰えた小樽の街には、結果として、多くの文化遺産が現存することとなったのだ。

第2話「小樽港から祝津へ」につづく

文:ゴルフダイジェスト社 出版部長 近藤雅美